昭和43年7月12日 夜の御理解
折角信心をさせて頂くのだから、ここのところまでは一つ信心を分からせてもらい。ここのところだけは神様を信じさせてもらえるというところまで行っておかなければならんと思うですね。ここ、ここまでは、というところ。
あの、先日あの、椛目の内田さんがお届けをされます。この頃からあの、「ようじ?」君が仕事の都合で、家に連絡せんなりに大分長い間家を空けとりました。で、お届けをしてありました。勿論心配はいらんということであった。
だからその、「ようじ」君の仕事の上での友達が「ようじ」君を探しているらしいんですよね。ほれでこの頃から内田さんに、今「ようじ」君何処におるじゃろうか。そりゃ何とん言うちゃないけん私知らんですよちいう。て言うてその、まぁ言うとったち。
そしたらその、「みちこ」さんか「たかこ」さんかにその、友達が合うてから言う。あんたげんには息子の「ようじ」さんがおらんとにあんた、いっちょん心配もどーんなかごたる顔してから(ちか?)その言われた、とこういうんですね。
それは横着で、ね、探さんならん、さぁ警察に頼まにゃならん。まぁ普通でいうならば、そういう風に大変なことかもしれませんですね。けども、もう親先生のお取り次ぎを頂いて、しかも親先生が心配いらんと仰ったんじゃから、心配せんというその態度が出とったわけでしょうね。あんたがたお母さん(ばっかしは、やけには?)息子がおらんちいうとに、探しもせんな、平気でしちゃったというような。ね、だからそこまではおかげ頂きときたいです。
いわゆる神様のご守護の中に、ね、天地の親神様のご守護の中にと、ですけれども、本当いうたら、金光大神のお取り次ぎの働きの中にあるんだということです。それでそれが良しどういう最悪なことであろうが、なかろうがですね、もうお取り次ぎを頂いてお取り次ぎの働きの中で起きて来ることだから、一切おかげと。これを、その動かんですむ信念を培うていきたい。
ね、例えば子供がいうことを聞かんとか。ね、困った事、目に余るような事になるとか。ですからそれは、例えばならこの「あつか」さん達の場合なんか、ご主人がなかなかお神酒の方が好きな方。ですからその、まぁいうならかつがつ飲んでしまうというわけなんです。ですから、まぁなるほど考えようじゃその金も貯まらんし、まぁ買いたいと思うものも買われんから、寂しいことじゃろうけれどもです。
そういう例えば親の祈りとか、金光大神の祈りの中にあるんだと、本人が悟らせて頂いてですね、そしてそこに不自由があるならば、不自由させて頂くということは、これは自分達にまだ(かせられて?)おる修行だと思うて。そしてその不自由な中に、それでもこげなおかげも頂いておる、あげなおかげも頂いておるというて、嘘んでも良いからお礼を申し上げてくれんの、信心から必ず生活が段々、徐徐に豊かになって行く。主人もまた変わって行く。
けれども、家の主人ばっかりはもう飲んでから、どんこんされんと。と例えばいうような思いだけであったらおかげにはならん。信心ち。
今日も先程、何ことからだったか、ここでお話をして、あっ美登里会の方達に対する御理解が終わってからでした。私がその、例えばこれは病気だけのことじゃない。色んな問題が起こると、もうそのことに心配をする。
こっちは心配しとらんでん、家族の者が心配をする。もし本人が心配をするなら、それはいわば、これが病気であるならば、墓穴を掘っておるのと同じことであり、周囲の者が心配して加勢するならば、いわゆる墓、穴を掘って加勢しておるようなもんじゃ。
これは例えば、他の難儀な問題であるならば、それでも同じこと。例えば金銭が足りない。経済的な難儀といったような場合でもそうである。こりゃもう明日どげんなるじゃろうか、こげなこちゃ先はどげんなるじゃろうかと、本人が心を暗くするような事ではね、それはもう(おくもさん?)になっとると同じことと仰る。
いわゆる貧すりゃ鈍するという、その鈍な根性になったら、もう例えばお金が儲からせてもらう。お金に不自由せんですむような運命が側までやってきよっても、その良い運命は、向こうの方へいってしまう。
久富先生が、私そんな話「久富?」先生がいわれることが、もう私だけがいくら神様信じとったっちゃ、もう家族の者なんか引き落としてしまうけんでといわれた。だから自分まで引き落とされてしまうといったようなことを、意味のことを言うておられたけれども、おそらく一緒に「ひろみち」君がきとったけんで、「ひろみち」君に聞かせるつもりだったかもしれない。
けれども、どんなに引きずる落とすようなことを言うても、いわゆる墓穴掘って、加勢するようなことをいくらいうても、本人自身が墓穴に入らん覚悟が出来とったら良いでしょう。
まぁいうならば、金光大神のお取り次ぎの働きの中に、あれ達があぁいうたり、あぁしたりしておるんだという確信。ね、金光大神の特別なお働きの中にあって、あぁである、こうであるんだという、私はそこまでは信じれれる信心を頂いておきたいと思うですね。
今日私、久富先生のその言われた事がちょっと心にかかっとったから、今の御祈念の時に、その事を神様にお願いさせてもらいよった。ほんなこと考えようじゃ先生が一生懸命信心されるけれども、他んもんが引きずろうとする、ごたることじゃもんねと。最近ではお母さんが参ってくるようになった。
朝参りする、時々でもして来る。もう私はそれを待ったおったと言わんばかりに、お届け長に、久保山先生の時に、久保山先生一家を私はお取り次ぎさせて、お届けに書きよったように、もうそういう時期の来ること待って、待って待ち構えとった。
だから、私が自由じゃいかん。けれども、私がもうそれこそあの「けいこ」さんどんがことまでここにお届けをさせて頂くようになった。お母さんが参ってくるごつなったから。この人の信心一つでどうぞ、という、だから、そういう祈りの中に久富一家があるんだと。
ということになりゃどんなに墓穴を掘って加勢しよっても、墓穴に入らんですむおかげになってくるということ。もうここあたりはね、いわゆる信心のきびなんです。自分も楽でおれれる。(家族の中のあなた?)でもそうです。お父さんあんたどうか言いなさらにゃ。
例えばならもう娘達が、もうそのもう相手がありゃ嫁にでもやらねばならんというようにあっておるのに、あげなことではとにかく、もろうてもらう方が気の毒か。そげんもう家でこげな人がと思うごたるとば、他所にどう(いのしつけ?)出られるか。
こんな、こればっかり、こんやつばっかりがち、思うようなもの、他所にどうして、他所さんに、他人さんにもろうてもらうことが出来るか。そげなこっちゃ縁が伴うなうはずない。そうでしょうが、親が(悪世ふっとるもんば?)他人のところにそれば、それこそまるっきり(つかまする?)ごたるこっちゃ。
そういうことでおかげの頂けれるはずはなかて。私達は思うです。家の子供達、なるほど目に余るようなことがある。ところがですね、例えばなら、若先生なんかの場合でもそうです、豊美達の場合でもそうです。
ね、親の思いには一つも沿いよらん。ところがですね、不思議に私の思いには沿いよらんばってん、神様の思いに沿うていきよるから驚くです。これは若先生の場合なんかはっかりそれが実際に出て来るですけれども、何時の場合でも神様の思いの中に育っていきよるです。
だから豊美達でも、もう嫁いったならば(ちゃんと?)向こうで(いつな?)気に入られるに違いないと私は思うとるです。それをがたがた言うて心配する。もうあげなこってよかじゃろうか。ね、それは例えて言うなら金光大神のお取り次ぎの働きというものを信じとらん証拠なんです。
例えばなら、私共の若先生なんかの場合、私のいうことも聞く、神様の思いの中でも働きが出来るということなら、こりゃもういよいよ有り難いですよ。けれども、そうとう(いやがゆあさない?)ね、神様の願いの中にです、神様がいうなら、私はつかいまわせきらんけれども、神様がつかいまわしござるという気がするです。これは子供達の一人ひとりの上にそれを感ずるです。
ですから、そういうおかげを頂いておるからです、安心しとってよかです。それでも人間ですからね、やっぱりそこんところに生身を感じ、こげなこっでよかじゃろうかと心配ならんこともないけれども、そういう時にはね、なら私、親なら親が代わってお詫びをしてやり、修行をしてやるというような心持ちになったなら、どうだろうかと私は思うです。
その(いそうしゅう?)のことを私が、もう本当に私がいくら頑張ったっちゃ。私がどげん信じておったっちゃ。他んもんが墓穴掘ってから(ひす?)するごたるこというたりしたりしますけんで、とこういう言葉が私の心に引っかかった。
私は毎日、今、私、だれがお取り次ぎさせてもらいよるの。私がお取り次ぎしよるばいち。言いたかった。しかもお届け帳見てご覧、ちゃんともう、いわば嫁いっとる「くろやけいこ?」まで私はお届けしよるばい。お願いしよるばいちこの頃。
といいたかったけれどもです、まぁ言わんでおったけれども、まぁ今後の御祈念の時それが、私あの、ね、あの、心にかかっておったから、神様にその事お届けさせてもらいよったらね、★蚊帳の吊りてがね(三本?)が切れとると。そこに、久富先生が中に一人入っちゃるところを頂いた。
だから、例えば、そういう例えばそのじがじが、久富先生がじがじがしなさる事も、もやもやしなさる事も何もいらんて。自分だけはじがじがしよらんというおかげ頂きゃ良いって。神様が引いて下さっとる蚊帳の中にあるんだと信じたらいいて。その中に、この(三本?)におちておる蚊帳の吊りても、吊る時期が必ず来る。
家族の者が、ここの中に入って本当に親先生のお取り次ぎを頂いておるから、金光大神のお取り次ぎの働きを頂きよるから、皆がいわゆるじがじがせんですむ。蚊に食われんですむおかげの頂けれることをです、私は信じて日々生活させてもらうということ。
ね、なら「あつこ?」さんなら「あつこ?」さんの場合でもそうです。これだけ親がなら、一生懸命信心しよるから、子供達のこと祈らんやら、願いよらんやらはずがなかって。だから親の祈りがあるんだと、その中で例えば主人がお酒を飲んで帰ってくるのであり。お金が足りなかったりするのであり、買おうと思うと思うもんも買われんのであるから、その中にです、その中にです、それでもやはりこうやって食べさせても頂きよるし。子供は何処の子供よりも、こんなに賢う育って行きよるし。お礼を申し上げることを棚にあげて、ただ困った難儀なことだけを言うておったんじゃおかげにならん。
ね、いわばお取り次ぎの働きの中にある、蚊帳の中に自分が入っておりゃ、じがじがいらいらする思いは一つもない。蚊帳のおかげでこういう、ね、蚊のおる時でも、痒い思いをせんで済むようなおかげをね頂かにゃ。
だから信心させてもらうならね、そこまでは信心を頂いておきたい。ほんなこて警察に頼まにゃ心配でたまらんごたる中にあっても、親先生お取り次ぎを頂いておる中だから警察頼むわけでもなかなければ、探して回ることもいらん。
それをまぁ他人が見たならばです、どうしてあそこんお母さんばっかりは、冷淡な人じゃろうかと思われるくらいに安心しておる。それを子供にそげん言うた。あんたげんお母さんばっかり(よきにょうは?)私どんさえ、心配で探しよるところば、一番楽しちゃるちいうごたる風に言われたそうです。
ばってんもう本当に、お取り次ぎ頂かせて、そしたらおかげ頂いてから、まぁ直ぐ帰ってまいりましたけれどもね。そうでしょうが、その間は心配したり、人に頼んで回ったりするよりか、その方が有り難いでしょうが。
ね、そういう私はおかげ。そこまではおかげ頂いておかにゃいかんですね。だから、私は、あのそこまでは自分、信心を自分のものにしておかんとですね、そこれそ自分が墓穴を掘るようなことだけでも、人にまで墓穴掘って加勢するごたることまでするです。それじゃいけませんね。どうぞ。
梶原 佳行